日本における外国人コミュニテーィの精神医学的ニーズへの対応
アルバート・アインシュタイン医科大学精神科
は じ め に
今日、この機会を通じ、日本における外国人コミュニティーの精神
医学的ニーズへの対応という話題を提起させていただき、また、この領域に関する文
献を紹介させていただきたいと思う。まず、このサービスにどのような専門家や活動
が関係するかを簡単に紹介した後、筆者が診てきた患者や、基本的な治療的アプロー
チについて論じようと思う。そして最後に、そのような患者についての感触をつかん
でいただくために、実際の症例を提示する。
筆者は大学で四年間、そしてニューヨーク医科大学で四年間のトレーニングを
受けた。その後、ニューヨーク医科大学においてさらに四年間の精神科研修医時代を過ご
し、コンサルテーション・リエゾン精神医学(身体疾患を伴う患者のための精神医
学)の分野で一年間フェローとして勤めた。筆者の日本との関係は一九八五年に始ま
る。筆者は神奈川県にある東海大学の交換留学生として神経学と精神医学を学んでい
た。そして一九八八年には研修医として東海大学に戻り、六ヵ月間精神分裂病の研究
を行った。一九九二年になって永住するつもりで再来日して、東京大学において摂食
障害と解離性障害の研究を行った。東京大学は、筆者が医学博士号を取得した大学で
あり、それ以降は製薬会社と共に薬剤の開発に携わったり、米国精神療法センターを
開設したりした。このセンターでは、東京に住む日本人と欧米人のいずれにも精神療
法やカウンセリングを提供している。
まず、六本木にある国際クリニックのシェイン氏(Dr.FredShan
e)を紹介する。シェイン氏は米国で医学部を卒業し、一般医として神戸と東京において五
十年以上に渡り臨床に携わってきた。シェイン氏は、受け持ち患者の四分の一から三
分の一の人に、一般医療のなかにも精神医学的なニーズがあるのではないかと述べて
いる。
彼のもとにやって来る患者のなかには、専門カウンセラーから紹介されて来る
患者もいれば、飛び込みでやってくる患者もいる。彼は精神科のトレーニングを受けたわ
けではないが、多忙ながらも内科医として短い診察時間内に精神医学的な側面の評価
もしなければならなかった。
一九五〇年代の日本でシェイン氏が初めて診た患者の一人は筆者の叔父に当た
る人だったが、お互いにそのときはまったく知る由はなかった。ところが偶然にもシェイ
ン氏と筆者はそれから四十年経った一九九〇年代終わりになってその事実を知った。
それは筆者がシェイン氏に、自分の叔父の一人が五〇年代に神戸に住んでいたという
話をしたことで判明したのである。
米国精神療法センターを訪れる患者のタイプ なぜ多くの欧米人が、そして多く
の日本人までが、欧米人による治療を望むのかという点から話を始める。まず第一に、在
日欧米人にはもちろん言葉や文化という障壁が存在する。日本人の治療者で英語が堪
能な人や、欧米に在住してそこで精神医学の資格を取っていた人の場合でも、思考パ
ターンや対人関係には基本的な違いがあり、多くの欧米人は同じく欧米から来た治療
者を好む傾向がある。日本人にとっては、欧米は精神療法が進んでいるという思いも
あるかもしれないが、それと同時に日本社会のシステムの『外』にいる人に対しての
方が、より個人的感情を話しやすいという思いもあるように思われる。
米国精神療法センターを訪れる外国人患者のタイプは、ホステスなどの水商売を
している人から英語教師やテレビ・ラジオのタレント、さらには多国籍企業の子会社の
社長まで実にさまざまである。彼らのなかには比較的軽い症状を持っている患者が多
い。たとえば、抑うつ状態や軽そう状態、パニック障害、全般性不安障害、強迫性障
害、対人関係に困難を引き起こす人格障害などである。これらはほぼ全て彼らが来日
する以前より存在していた精神医学的問題であり、日本での生活によるストレスに
よって新たに引き起こされた精神医学的問題ではない。しかしながら、在日外国人は
アパートに入居できないとか、日本の会社では責任ある仕事を任せてもらえない等の
ストレスなどがあることは言うまでもない。精神分裂病あるいは精神分裂病に匹敵す
る重篤な精神疾患を患っている患者や、深刻な自殺の危険性等がある患者がやって来
ることもあるが、日本で働き続けることは難しく、通常は母国へ帰国する。しかしな
がら、彼らのなかには、幸いにも日本に長い間在住していて彼らに協力的なサポート
を提供してくれる人たちがおり、われわれのもとで治療を受けることもある。また母
国には自分をサポートしてくれる人たちがいないので、彼らは母国で治療を受けずに
われわれのもとにやって来る人たちもいる。
以上は在日外国人についてであるが、われわれのところに治療を求めにやって来
る日本人も少なからず存在する。米国精神療法センターを訪れる日本人のほとんどが二
十代から三十代の女性である。彼女たちのなかには「日本人の男性に自分の気持ちを
話すのは気が進まない。日本人の男性は話をするのがあまり上手ではないから。」と
訴える人が含まれている。このことは彼女たちの父親との関係に起因しているのでは
ないかと思われる。推測にしか過ぎないが、彼女たちの父親はあまりにも厳格で時間
的余裕がなく、彼女たちに共感的態度を示すことができないのはないかと考えられ
る。父親との関係は精神療法の中でもよく話し合われる問題でもある。
しかし、他にもいくつかの理由が考えられる。日本の精神科臨床においては重篤
な精神病や薬物療法に主眼が置かれ、精神療法があまり盛んではないことも関係してい
るように思われる。また、感情をよりオープンに表現する欧米人に比べ、アジア社会
では感情や個人的な問題はあまり表立って口にされることがないという特徴にも関係
しているのではないかと思われる。総じて、日本人は感情の言語化が訓練されていな
いために、親子関係においてもそのことが微妙に影響しているのではないかと思われ
る。このようないくつかの理由が関与して、日本人の若い女性がわれわれのところに
治療を求めにやってくるのである。
精神療法と薬物療法のつながり さて次に精神療法と薬物療法とのつながりにつ
いて述べる。多くの患者はカウンセリングに加えて薬物療法を必要とする。これは重篤な
そう病やうつ病、パニック障害、全般性不安障害、強迫性障害などを持つ患者であ
る。
シェイン氏のように、在日外国人医師でも日本の医師免許をとることは可能であ
る。しかし、それには満たすべき多くの基準がある。外国で医科大学を卒業している
ことはもちろんのこと、日本人の配偶者ビザあるいは永住ビザを持っている必要があ
る。そして日本語能力テストの一級に合格し、さらに医師国家試験にも合格しなけれ
ばならない。筆者とルアノ氏は日本の大学で博士号を取得しているが、二人とも日本
の医師免許は持っていない。そのため患者に薬物療法を行えない。薬物治療を行う際
には、実際に医療を行うことができる尾久氏あるいはシェイン氏に紹介状を書くこと
になる。複数の医師が患者の服薬や精神症状について診るということは、副作用を最
小限に抑えるためにも、また適切に服薬されているかどうかを確認するためにも有益
であることは言うまでもない。
力動的精神療法
それでは、精神療法に関する私見を述べる。基本となる前提は、患
者には幼少期の頃から数多くの大きな心理的問題があったということである。
たとえば、愛されていないと感じる、認められていないと感じる、支配されてい
ると感じる、家族内の葛藤などが考えられる。人は成長するにつれ、これらの感情を自
分自身や他者との関係の中で乗り越えようと試みる。このような心理的問題を乗り越
えたい、あるいは自分自身を守りたいという願望は、問題を悪化させるような行動
(心理的防衛)をしばしば引き起こす。たとえば、筆者のもとに父親と兄からひどく
支配されていると感じている男性がやって来た。彼は小学校時代、餓鬼大将であった
が、高校生になるといじめられるようになった。彼は身長が低い上に、その横柄な態
度が身体の大きな少年たちには気に食わなかった。大人になった彼は非常に厭世的
で、しかも受動-攻撃的行動(すべきことをしない、あるいは人が嫌うことをして怒
らせること。たとえば面接料を持ってこない)を呈することが多かった。しかし、そ
れでも彼は皆に好かれたいと思っていた。彼の行為は子ども時代の経験を乗り越える
ための試みであり、劣等感から自らを守る防衛的な手段であった。ただ実際には周囲
の者を遠ざけるだけだった。彼が誰にも尊敬されないという事実は、対人関係の葛藤
や人生への不満感へと発展した。そしてこのような問題で治療に通うようになった。
このタイプの精神療法は力動的精神療法と言う。力動的精神療法は、フロイトら
によって示された心理的機能のモデル『自我心理学』に基づくと言われている。しかし
これは、ハインツ・コフートが提唱した『自己心理学』や、メラニー・クラインや
オットー・カーンバーグらによって発展させられた『対象関係論』の影響も受けてい
る。対象関係論については
このページに詳しく書かれているのでここでは省略する
。
自我心理学は次の三つの考えに基づいている。人には、(1)無意識が存在す
る、(2)子ども時代の重要な他者との関係が大人になってからの他の人との関係に『転
移』する(患者の転移の典型例は治療者との関係である)、(3)不快な感情が起こ
るのを防ごうとして『防衛』を使う。
無意識の世界には、互いに葛藤し合うことの多い複数の考えや感情が存在する
が、たいていは何らかの妥協によって、ぶつかり合うニーズの両方を満たすことが試みら
れる。それにより、非適応的な特性(何らかの症状や人格の病理)と適応的特性(そ
の人の喜びや生産性や健康な人間関係の一般的なあり方)の両方が同時に生じる。患
者と何度も話をするうちに関係が出来上がり、その中で思考や感情の無意識的かつ習
慣的パターンに関するヒントが見つかる。夢もまた無意識をより深く理解する有用な
方法である。目的は、患者の病理全体の中に数は少ないけれども蔓延している問題を
探し出すことである。病理の源は、患者の個人的な過去へと遡って見つけることが可
能である。治療では、患者の転移や防衛を分析することによって、患者がよりふさわ
しい方法で自分の葛藤を処理できるよう援助する。しかしこのプロセスは時に困難を
伴う。なぜなら、長い間患者が使ってきた防衛のスタイルを捨て去ろうとするとき、
無意識が抵抗を起こすからである。
心理的葛藤は、両親に対して愛情と依存を同時に求めることによって生じること
がよくある。たとえば、侵入的な両親に対しては、愛情欲求を表現することが難しくな
る。「きちんとしすぎた」両親を持つ十代の子がいた。その子は部屋をいつも汚くし
ていたが、その子が表現しているのは自立したい(両親と同じことはしたくない)と
いう気持ちと愛され世話されたい(母親が来て掃除をしてくれなければならない)と
いう両方の気持ちであった。反抗的態度を示してもそれをものともせずに周囲が愛情
を示し続けてくれない限り、怒りと苛立ちや不安と抑うつなどを含む症状に陥ってし
まう。このケースでは、怒りと愛情の葛藤を両親に直接表現することに対する防衛
と、無意識による「転移」のスタイルが非適応として捉えられる。
防衛が失敗に終わった時には心理的症状(例:不安、抑うつ)が現れる。そして
非適応的防衛である時には他者との関係がうまくいかない。たとえば、無意識内の自己
不適切感に対する防衛としての傲慢な態度が失敗した時、抑うつ感情が生じ対人関係
は難しくなる。それは対人関係として適応した行為ではないからである。
自己心理学モデルはここまで構造的ではないが、両親は子どもたちが何かを達成
できるように「鏡映」し、支え褒める必要があるとしている。共感に失敗すると、自己
適切感の発達が歪められたり妨げられたりすることになる。その結果として何らかの
症状が生じたり、他者との対人関係のスタイルに害が及ぼされたりする。そしてここ
でも、自己発達におけるこのような障害を補おうと防衛が働く。共感は自己心理学モ
デルの中で治療の主たるツールとされている。それにより患者の自己不適切感を解消
する援助を行う。治療では患者の転移と防衛のスタイルを分析することにより、共感
の失敗の原因を理解する。そして非適応的な対人関係のスタイルを改善する。この非
適応的なスタイルは、根底にある自己不適切感に基づくと考えられている。
認 知 療 法
力動的精神療法と同じく有効だと思われる治療に認知療法がある。
認知療法は、非適応的な認知(思考)、感情、行動を変えていく方法である。ネガ
ティブな、あるいは歪んだ自動思考を同定し修正していくプロセスが鍵となる。この
ような自動思考は、人が特殊な状況のただ中に置かれたときに素速く生じる。その人
が感情的に敏感になるような問題が強調される状況であればあるほど、歪んだ思考で
反応しやすくなる。これは、感情状態にマイナスの影響を与えることになる。自動思
考を簡単に挙げると、二分割思考、拡大視、自己関連づけ、状況からネガティブな事
柄を選択的に抽出する、破局視、縮小視、「?すべき」という言い方、レッテル貼り
(自分また/あるいは他者について)がある。根底にある(無意識の)認知的スキー
マ(例:「私は誰にも愛されていない」)が、認知的歪みが生じやすい傾向の肝心要
のところにあると考えられている。
抑うつと不安、あるいは対人関係での困難のような問題のある患者は、ネガ
ティブで非適応的な自動思考を多く持っている。この自動思考は無力感や引きこもり、攻
撃、回避等の行動につながる。これらの行動によって問題は更に悪化し、気分状態も
悪化して、更に非適応的な思考が出現する。これは悪循環である。認知療法ではこれ
らの認知的誤りを患者が認識して修正できるよう援助する。これは治療者との話し合
いや、書くことによって状況や歪みの輪郭を描きリストにすることや、宿題を通して
行われる。歪みを強化してきた、昔からの非適応的な行動パターンを修正するために
は、行動の変容が必要になることもある。
患者の思考がいかに感情の善し悪しに影響するのかを患者自身が知るためにも、
認知療法は非常に効果的である。しかしながら、歪みや根底にあるスキーマの原因、あ
るいはどのようにしたら他者との関係がうまくいくようになるのかに関しては、認知
療法では触れない。自己をより深く理解するためには、力動的精神療法が必要になる
のが普通である。力動的精神療法での方が、感情生活に無意識的に付随するものは何
か、そしてそれらがどのように対人関係に影響するのかがもっと扱われるからであ
る。
幾つかの研究では、重篤な抑うつにある患者の認知的な歪みが抗うつ剤により消
えたとしている。重篤な抑うつは生物学的要因(すなわち、気分をコントロールする神
経化学物質に乱れが生じている)の結果であることが多いのに対し、より軽度の気分
障害は、むしろ個人の人格様式から来る歪みが原因となっているということであろ
う。したがって、なぜ歪みが生じたのかという正確な原因についての結論はまだ出て
いなくても、その歪みのせいでどのようにして感情的問題が生じているのか、その可
能性について患者に示唆することは、臨床的に意義にかなったことである。
幾つかの精神療法を組み合わせることが、大抵の場合に最も有効である。問題の
種類にもよるが、より重篤な症状に対しては、精神療法と併せて投薬を行う必要があ
る。あるいは、数多くの精神療法を行ったのに効果が見られない場合にも投薬が必要
となる。多くの人が薬物という手段を採ることに気が進まないのはわかる。しかし、
次のような原則を知ることにより、不必要な苦しみを防ぐことができる。
その原則とは、「試してみるまで効くか効かないかはわからない」、「薬が嫌い
ならいつでもやめて構わない」である。もし脳内の化学物質(神経伝達物質)が精神療
法のみでは治らないほどにまで本当に異常をきたしている場合、本人が「自力で頑張
りたい」というだけでは、おそらくこうした化学物質は正常に戻らない。これは、糖
尿病患者が意志の力だけでインスリンを作り出せないのと同じである。人間は、どち
らかと言えば問題は人生のある状況によって引き起こされるのであって、気分を調節
する神経伝達物質の異常によるのではないと結論付けることがある。なぜなら、人生
の状況は容易に見渡すことができるし、脳内の化学物質に異常があるかも知れないと
なると、耐えなければならない感情的負担がまた一つ増えた感じがするからである。
事例1 愛された気分になれない
上述のように、無意識なニーズに基づいた行動によってネガティブな結果が生
じることはしばしばある。筆者が診た患者の多くは、自分自身で危険な状況へと陥った。
筆者の患者に若い女性がいた。彼女は父親との接触があまりなく、父親からの愛情も
十分受けることなく育ってきた。彼女はボーイフレンドたちにべったりと愛着を持
ち、拒絶されることに対して非常に敏感であった。もし彼らが別れようなどとしよう
ものなら、彼女は手首を切ってしまいかねないほどであった。その恐怖を乗り越える
ために、彼女は売春を始めた。男性からお金をもらって、身体的関係も含めたデート
をしていた。このようにして、自分が持っている強い要求を、男性にコントロールさ
れるのではなく、むしろ男性を自分がコントロールしているという感覚を彼女は常に
持つようになった。これらの関係では彼女のコントロールを表すものはお金であり、
そのため彼女は、男性から注目と同時にお金をもらえることに非常に惹かれていた。
遂に、彼女はある男に会って、ホテルの一室に連れ込まれた。男は彼女がシャ
ワーを浴びている隙に財布から五〇、〇〇〇円を奪い、彼女が立ち向かうと、セックスを
強要し、彼女を殺すと脅した。さらに彼女に自分の尿を飲ませた。しばらくすると男
は疲弊し、彼女に部屋から出て行ってもいいと言った。彼女はそこから命からがら逃
げ出した。他にも、ライトバンに男性と二人で閉じこめられて、かろうじて逃げ出し
てきたことがあった。そこでは闇市場に売るために二人のセックスをビデオに撮られ
そうになったのである。これは、結局は非適応的な結果となってしまったが、いかに
人の行動が無意識にある問題を表しているのかがわかる極端な例である。治療のゴー
ルは次の点である。まず男性の愛情を失うかもしれないという危険に彼女が耐えられ
るようになること、そして男性をコントロールしようとする防衛を使うことで、自ら
が陥っている問題を見ることができるようになることである。
事例2 子どもから分離できない
リストカットしようとする人、薬を飲む人、ホテルの一室でレイプ犯に捕まって
しまった人など、筆者はさまざまな人の問題を取り扱ってきたが、今から紹介する例ほ
どショックを受けたものはない。患者は二十歳の日本人とアメリカ人のハーフの女性
だった。彼女には以前に二度の精神分裂病のエピソード(幻聴や、人々が彼女を殺そ
うとしているという妄想など)があった。その時は米国で入院しながら薬物療法を受
けていた。彼女は定期的に週一回の通院を五週間続け、筆者は徐々に薬を増量した。
彼女の母親はバイリンガルで、はっきりと物を言い、国際的で娘に対して非常に上品
な物腰で接していた。その母親は筆者と密接に連絡を取り、治療セッションの間には
娘がどうしているかを伝えてきた。彼女が筆者のところにやって来たのはわずか五回
だけであった。
ある日、筆者のところに警察から電話があった。その内容は、母親が娘を絞め殺
し、その母親は電車に飛び込んで自殺したというものであった。母親は遺書を残し、
その遺書にはこのようなことをして皆に申し訳ないと書いてあった。
もちろんどのような治療者にとっても、このような事態になると予測することは
非常に難しい。しかし、筆者があまりに娘の問題に気を取られていたばかりに、母親に
目を向け損なってしまっていた。後日、母親は出産以来、いかに子ども達にべったり
であったかという話を聞いた。母親は薬が効果を現すまで待つことができなかった。
さらに、娘を精神病院に再入院させることもできなかった。筆者にとってここから学
ぶべき教訓は、患者がどのような病態であるのかという点だけでなく、その家族全体
がどう機能しているのかを正確に見極めるということであった。この例を見ると、こ
のような人たちへのメンタル・ケアが非常に慎重を要すること、そして人間の行動や
精神疾患の複雑さを過小評価してはならないということがわかる。
〔参考文献〕
Beck J: Cognitive Therapy. Basics and Beyond. New York: Guilford; 1995
Burns D: Feeling Good. New York. Avon Books 1980.
Fava M, Davidson K, Alpert JE, Nierenberg AA, Worthington J, O'Sullivan R., Rosenbaum JF: Hostility changes following antidepressant treatment: Relationship to stress and negative thinking. Journal of Psychiatric Research. 30 (6): 459-67 1996 Nov-Dec.
Perry S, Cooper A, Michels R: The psychodynamic formulation: Its purpose, structure and application. American Journal of Psychiatry, 1987: 144:5:543-550.
|